共感 | 共感定義

共感(きょうかん)、エンパシー(empathy)は、他者と喜怒哀楽の感情を共有することを指す。

もしくはその感情のこと。

例えば友人がつらい表情をしている ...共感出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ナビゲーションに移動検索に移動「シンパシー」とは異なります。

共感の一例。

友人がつらい表情をしているため自分もつらい感情を持ち相手をハグしている共感(きょうかん)、エンパシー(empathy)は、他者と喜怒哀楽の感情を共有することを指す。

もしくはその感情のこと。

例えば友人がつらい表情をしている時、相手が「つらい思いをしているのだ」ということが分かるだけでなく、自分もつらい感情を持つのがこれである。

通常は、人間に本能的に備わっているものである。

しかし、例えば反社会性パーソナリティ障害やサイコパスの人物では、“共感の欠如”が、見られる[1]。

近藤章久は深い共感と直観を精神治療の根幹とした。

共感性がたとえば友情を生み出す。

友人になったきっかけは、「何となく」であることが多いが、「何となく」の本性は、共感性である。

共感しない立場をとると、子猫を憎むことを主張しているかのように受け取られ、不興を買う[2]。

動物においても類似の例はあり、たとえばコンラート・ローレンツはガンが湖に群れで舞い降り、また新たな餌場に移動する際に、鳴き声を互いに聞くことで気分を共有するのだと論じている。

目次1共感の罠2荘子の考えた共感3情動的共感と認知的共感4共感の欠如5脚注6参考文献7関連項目8外部リンク共感の罠人間は魅力的な人々、自分に似た人々、あるいは自らの民族的背景や国民的背景を共有している人々に類似点を見つけ、それに魅力を感じ、共感を抱く傾向がある。

数値の違いや統計データにはさほど敏感ではない。

故に、道徳、思いやり、優しさ、愛、良い隣人であること、正しいことをすること、そして世界をより良い場所にするなど、良いことをしたいのであれば、共感は悪い指針であり、良い人であるためには自制心と正義感とともに客観的な思いやりが必要だと、哲学・心理学協会(SPP)の前会長を務めていたイェール大学・心理学部教授ポール・ブルーム氏は主張している[2]。

他人から共感されることは自分の存在を認めてもらえたという承認欲求を満たすことから、傾聴し共感を示すことは精神的な援助となる[3]。

1993年以来、一般人が共感を示す対話スキルを学んで被災者や高齢者の話を傾聴し、心のケアを行う傾聴ボランティアが増加している。

一般にカウンセリングでは、クライアントの苦しみや辛さを追体験し、できる限り分かってあげることを共感という[3]。

しかし、クライアントの個人的な経験によって発生した苦しみを、他人がその場で理解することは現実には無理がある。

信田さよ子はカウンセリングにおける共感に対して懐疑的な見方をしており、クライアントの身になって考えよう、共感しようと思ったことはないと述べている[3]。

強い共感を持つ人間たちは、一般的に見られる多くのうつや、不安に関連する病気や症候群に悩む傾向がある[2]。

荘子の考えた共感しかしながら、実際に共感によって他人の感情がわかるのか、は永遠の謎である。

論理的には、他人の感情は他人のものであり、それを確認する方法は実在しない。

中国の思想家である荘子の著書に「知魚楽(魚の楽しみを知る)」という小編があり、そこでは橋の上に立って魚を見て、「あれが魚の楽しみだ」という荘子に対して「君は魚でないのに、なぜ魚の楽しみがわかるのか」とくってかかる恵子の姿が描かれているが、論理的には恵子の言葉に反論するのは不可能である。

にもかかわらず、共感は感情を共有する方法として機能している。

実際には本当に感情そのものを共有しているのではない点は重要である。

たとえば俳優は偽りの感情を創造することで観客の共感を引き出すことが可能である。

ただし俳優は演技により架空の人物と自分自身の共感性を高め偽りの感情を本物に近いものにすることもできる。

情動的共感と認知的共感共感のしやすさ(共感力)を客観的に測定するテストとして、対人性反応性指標(interpersonalreactivityindex,IRI)が広く用いられ


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